横浜地方裁判所 昭和55年(ヨ)1700号 決定 1981年2月18日
債権者
小嶋清
外四名
右代理人
宮代洋一
外五名
債務者
大久保加代子
主文
債権者らが債務者のために共同で金六〇万円の保証を立てたときは、債務者は、午後一〇時から翌朝午前八時までの間、別紙物件目録記載(一)の建物のうちの同(二)の店舗内において、カラオケ装置を自ら使用し若しくは第三者をして使用させてはならない。
申請費用は債務者の負担とする。
理由
一債権者らの本件仮処分申請の申請の趣旨及び理由は別紙のとおりである。
債務者は審尋期日に出頭し債権者らの本件仮処分申請を却下するとの裁判を求めたが、何らの主張、立証をしない。
二そこで、債権者らの本件仮処分申請の当否について検討するに、債権者ら提出の本件疎明資料及び当事者らの審尋の結果によると以下の事実が疎明される。
1 当事者
(一) 債権者小嶋清は、別紙物件目録記載(一)の建物(以下、本件建物という。)の所有者であり、その余の債権者ら及び債務者に同建物を賃貸している。債権者平保及び同平充は、右小嶋から本建建物のうち三階の三〇五号室を賃借して、平保の妻と共に昭和五五年三月から同所に居住している。なお、債権者平充は重度身体障害者(全盲)であり、横浜市立盲学校(横浜市神奈川区松見町一丁目二六番地所在)に通学している。債権者中島政善は、右小嶋から本件建物のうち三階の三〇六号室を賃借して、妻及び中学二年生の子と共に右同月頃から同所に居住している。債権者前田喬生は、右小嶋から本件建物のうち二階の二〇五号室を賃借して、妻及び四歳と一歳の二人の子と共に右同月頃から同所に居住している。
(二) 債務者は、昭和五五年三月二一日前記債権者小嶋から本件建物のうち一階の別紙物件目録記載(二)の店舗(以下、本件店舗という。)を賃借し、同年四月二三日から同店舗で「ミュージックパブ紫陽花」と称し軽食スナックを経営している。なお、債権者小嶋と債務者間の右賃貸借契約中には、債務者において他の迷惑となる行為があつたときは債権者小嶋は同賃貸借契約を解除することができる旨の約定がある。
2 債務者のカラオケ装置の使用状況
債務者は、本件店舗内にカラオケ装置を設置し、前記営業開始以来これを使用して営業を続けているものであり、債務者のカラオケ装置の使用は連日深夜の午前二時、三時頃まで及んでいる。
3 債権者らの被害状況
本件建物は一階が店舗(六軒)、二階三階が住宅(各六世帯)の構造を有し、通常の鉄筋コンクリート製建物であるから、防音効果が少なく、本件店舗内のカラオケの音響は、直近上階の二〇六号室はもとより、その隣りの二〇五号室、三階の三〇六号室、三〇五号室まで、窓ガラス、床を通じて伝播している。右カラオケ騒音量は、昭和五五年九月に窓を閉め切つた二〇六号室内で午後一一時前後に、横浜市公害課の係員が二度に亘つて実測したところ、一〇分間の平均値が三五ホーンであつた。
殊に、深夜におけるカラオケ騒音の被害は甚しく、前記のとおり債務者のカラオケ装置の使用は午前二時、三時頃まで続いているので、これがため債権者小嶋を除く本件建物に居住する債権者ら及びその家族は連日著しく睡眠を妨げられ、いずれも睡眠不足による精神的、肉体的疲労に陥いり身体の変調を来している。特に債権者平充は前記身体特徴により音に敏感であるため、慢性的睡眠不足から頭痛、更に体全体の不調を訴える状況にあり、やむなく同人はカラオケ騒音が始まる午後一〇時頃まで就寝し、カラオケ騒音中は起きて、これが終る午前三時過ぎに再び眠るという不規則な生活を強いられている。又、債権者前田においては、子供部屋に予定した部屋が本件店舗の直近上階のすぐそばにあるため、子供部屋として使用できず倉庫代りに使用せざるを得ない状況にあり、しかも、四歳の子は本件カラオケ騒音で夜中起きてしまうため祖父母の許に預けている状況にある。又、債権者中島の中学生の子も本件カラオケ騒音のため思うように勉強がはかどらない状況にある。
なお、本件店舗の真上である二階の二〇六号室に居住していた申請外大川勝則の家族は、債務者の前記営業開始以来毎晩本件カラオケの騒音に悩まされて眠れない日が続き、同申請外人の仕事に差しつかえる恐れが生じ、又、小学生の子供らは学校で居眠りをするという状況が生じて、昭和五五年一〇月入居後約半年にして他に転居したものであり、前記各債権者らもこのままの状態が続けば転居を余儀なくされる状況にある。債権者小嶋は、空室になつた右二〇六号室を他に賃貸することもできず、更に、前記各債権者らも転居したらこれまた他に賃貸できず、同債権者の被る経済的損失は大である。
4 本件建物の所在地の地域性と四囲の環境
本件建物周辺はアパート、会社の寮等が密集する住宅地であり、第二種住居専用地域に指定されている。夜間午後八時頃からは車の交通量も少なく本件カラオケの騒音を除いては比較的静穏な場所である。
5 当事者間の折衝の経緯等
債務者の前記営業開始以来、債権者ら及び前記申請外大川は債務者に対し、深夜の安眠を妨害しないよう懇請し続けてきたが、債務者は換気扇に屋上まで達する筒を取り付けたのみで、右筒は何ら防音効果もあがらず、依然として前記のとおり本件カラオケ装置を使用して深夜の営業を続けており、たまりかねた債権者らの通報により港北警察署の警察官が臨場して注意をした回数も三〇回を超えるところである。
三1 以上の疎明事実に基づいて債権者らの本件カラオケ装置の使用差止めの被保全権利の有無について判断するに、騒音による生活妨害は、肉体的、精神的自由の侵害であるから、人格権の侵害として捉えることができ、その程度が社会生活上受忍するのが相当であると認められる限度を超える場合には違法な侵害として、人格権に基づく妨害排除及び妨害予防請求権による差止めの対象となるものと解すべきであるから、本件カラオケ騒音が右の受忍限度を超えているかどうかについて検討する。
ところで、受忍限度の範囲を決定する一つの基準として行政取締法規の規定がまず考えられるが、神奈川県公害防止条例は工場等において発生する騒音の許容限度として、第一種及び第二種住居専用地域における午後一一時から午前六時までの間については四〇ホーン、同地域における午前六時から午前八時まで及び午後六時から午後一一時までの間については四五ホーンと各定めている。しかしながら、右条例の規定は騒音の測定地点を工場等の敷地境界線上の地点とするものであり、騒音の発生源である本件店舗と被害住居とが同一建物の階下と階上にある本件の位置関係からみてその規制基準をそのまま本件の基準とするのは適当でない上、右条例は本件のようなカラオケ騒音を直接規制の対象としたものではなく、従つて深夜のカラオケ騒音が安眠に及ぼす被害の特殊性が全く考慮されていないものであるから、前記疎明のとおり本件騒音の測定結果が平均三五ホーンであつて右条例の規制基準内にあるからといつて直ちに受忍限度の範囲内であると判断することは到底できない。
かえつて、本件騒音の音量が午後一一時前後の本件建物二階の二〇六号室内において平均三五ホーンあるという事実、そして前記疎明のとおり本件建物に居住する債権者及び昭和五五年一〇月まで居住していた申請外大川らが全員本件カラオケ騒音により睡眠不足に陥入り精神的、肉体的疲労が蓄積して身体の変調まで来していること、本件騒音に堪え切れず右申請外人は他に転居するまでに至つたこと、債権者らは安眠を求めて再三再四債務者に深夜における本件カラオケ装置の使用の停止を懇請し続けていることの諸事実、安眠が人間にとつて不可欠な根源的利益と言えること、その他前記疎明のとおり本件地域が第二種住居専用地域に指定されている住宅地であること、債権者らは債務者の本件営業開始以前から本件建物に居住を始めているものであること、債務者の営業は被害住民の特段の受忍を強いるような公共性を有するものではないこと等の諸事情に照らせば、債務者に本件カラオケ装置を使用できないことによる営業上の損害が生ずるとしても、深夜の債務者のカラオケ装置使用による騒音は本件建物に居住する債権者らの受忍すべき限度を超えているものと認めざるをえないところである。
そして、右の受忍限度を超えるものと認められる時間帯は、一般家庭における就寝時間及び本件建物所在地の地域性、カラオケ騒音が人間の睡眠に及ぼす影響の程度、態様、その他前記疎明される諸事情に照らして少くとも午後一〇時から翌朝八時までの間と認めるのが相当である。
2 而して、債権者らの安眠の利益を確保するためには、債務者が本件店舗に充分な防音設備を施さない限り、本件カラオケ装置の使用を前記時間帯においては禁止する以外に有効適切な方法が存しないから、債権者小嶋を除くその余の債権者らは人格権に基づき債務者の本件カラオケ装置の使用の差止めを求める被保全権利を有することが認められる。
3 債権者小嶋は、前記疎明のとおり本件建物の所有者であつて、前記解除権発生の特約つきで本件店舗を債務者に賃貸しているものであり、しかも前記疎明事実によれば債務者の深夜における本件カラオケ装置の使用は他に迷惑となる行為であつて、しかもそれが同債権者と債務者との間の信頼関係を破壊する程度のものであることが認められるから、右賃貸借契約に基づく不作為請求権として債務者に対し午後一〇時から翌朝八時までの間における本件カラオケ装置の使用の禁止を求める被保全権利を有することが認められる。
四次いで、債権者らの本件仮処分の必要性について判断するに、債権者小嶋を除くその余の債権者らが前記のとおりの睡眠不足による多大な精神的、肉体的負担を被つていること、この状態が続けば右債権者らは転居を余儀なくされる状況に立ち至つていること、その他債権者らと債務者間の折衝の経緯等諸般の事情を総合考慮すれば、右債権者らには本件仮処分を求める緊急の必要性があると謂うべきである。
又、債権者小嶋も、本件カラオケ騒音によつて前記疎明のとおりの経済的損失を被つており、右は債務者の本件カラオケ騒音が止まない限り継続し、且つ、新たに多大な損害が発生する蓋然性が高い状況にあるから、同債権者にも本件仮処分を求める緊急の必要性が認められるところである。
五以上の次第であるから、債権者らの本件仮処分申請は理由があるのでこれを認容することとし、債務者の被る損害等諸事情を考慮して債務者のために債権者らが共同で主文掲記の保証を立てることを条件とし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(竹花俊徳)
物件目録<省略>